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2019年2月12日(火)
【太陽のように明るく】
太陽のように明るく

三陸沿岸に広がる陸前高田市。町の再建が一歩ずつ進む。昨年末には、隣接する気仙沼市へと通じる気仙大橋も復旧した

 今月11日で、東日本大震災から7年11カ月。本連載では毎月、「今この時」の被災地の姿を紹介する。今回は、岩手県陸前高田市の高田新生支部を訪ねた。
震災遺構の旧気仙中学校の横を通り抜け、市内を見渡せる高台へと向かった。
 津波によって、県内最大の人的被害に見舞われた陸前高田市。町は一瞬にしてのみ込まれ、多くの尊い命が犠牲となった。​​
 8年近くがたった今、沿岸部には巨大な防潮堤が建設され、市街地は土地がかさ上げされている。
 名勝・高田松原は、津波で約7万本の松が壊滅。唯一耐え残った「奇跡の一本松」は、震災から立ち上がる人々の“希望の象徴”となってきた。白砂青松の景観の復活を待ち望む声は強く、一帯では再生に向けた作業が開始されている。
 一昨年春、復興への歩みを続ける市の中心地に大型商業施設「アバッセたかた」がオープンした。「あばっせ」とは「一緒に行きましょう」という地元の方言だ。
 同施設には市立図書館が併設され、周辺には店舗も開店。新たなにぎわいが生まれ始めている。
 さらに昨年、三陸沿岸道路の唐桑高田道路の一部が開通し、JR大船渡線のBRT(バス高速輸送システム)等が乗り入れる「交通広場」も完成。水産業の活性化や観光客の拡大などへの期待が高まっている。
 その一方、震災後、市の人口は減少し、高齢化が加速。地域が抱える課題は少なくない。
 だからこそ、大好きな陸前高田をもっと元気にしたい――それがここで暮らす人々の願いであり、この町を使命の舞台とする創価家族の祈りでもある。
                      ◇   
「地域も学会の組織も、多くの人たちの応援があって、ここまで復興することができました」
 今野睦支部長が、7年11カ月を振り返り、しみじみと語った。
 震災前年の10月、今野さんは単身赴任先の静岡から陸前高田市に戻ってきた。
 “千年に一度”の災害が起きたのは、その5カ月後。自宅の被災は免れたものの、想像を絶する惨状に言葉を失った。津波はかけがえのない同志の命をも奪った。
 「もっと一緒に学会活動がしたかった。悲しみは消えませんが、“彼らの分まで広布に尽くそう”――その思いで進んできました」
 この間、支えになったのは、聖教新聞などを通して届く池田先生からの励ましであり、全世界から寄せられる共戦のエールだった。  音楽隊の「希望の絆」コンサートや、来日したSGIメンバーとの交流も、どれほど力になったことか。長期の復興事業で訪れた県外の同志からも、たくさんの勇気をもらった。
 その中で師匠の誕生日である昨年の1月2日、今野さんの妻・眞津美さん(三陸旭日県副婦人部長)が、近隣の友人に弘教を達成。対話のきっかけとなったのは、本紙の配達だった。
 5月には、編成替えに伴い、市の学会組織が「高田新生支部」として新出発。広宣流布大誓堂完成5周年
の11月には、壮年世代の友が入会し、生まれ変わったような“新生の息吹”が支部内に広がっている。
 釜石良子支部婦人部長は誓う。「亡くなった同志に恥じない生き方をしたい。追善の題目を送らない日はありません。皆さんが幸せになるために、一人一人に寄り添い、太陽のように明るく前進していこう――それが

私の決意です」 
●佐々木二久さん(副県長)
 震災の翌日から、妻(秀子さん=総岩手副婦人部長)と共に同志の安否確認と救援活動に動きました。ここまで歩んでくることができたのは、池田先生からの度重なる激励があったからです。ありがたいことに、一昨年には新会館(大船渡文化会館)も開館しました。
 仕事では、1級建築士として現場を回り、地域の建物を一つ一つ再建してきました。組織では、ブロック黄金長も兼任し、訪問・激励に取り組んでいます。
 私の誇りは、「人間革命の歌」が発表された日に入会したことです(1976年7月18日)。“千年に一度”の災害を乗り越えたのだから、千年分の福運が付き、素晴らしい境涯が開かれていくに違いない――そう確信しています。

●村上俊子さん(婦人部副本部長)
 震災で大切な同志や友人たちが亡くなりました。経営していた美容室のお得意さんもです。毎朝毎晩、題目を送っているけれど、思い出すと悲しくて、すぐに涙が出てきます。
 自宅もお店も失い、大船渡に住む次男の所に避難しました。しばらくして息子に言われたんです。
「やらなきゃいけないことがあるんじゃないのか」って。その一言で目が覚めました。
 以来、高田民謡愛好会の会長や老人クラブ連合会の副会長として、慰問活動などを続けています。
 現在は、陸前高田の高台にある古い家を購入して住んでいます。先日、東京の創価高校に通う孫が電話
をくれました。本当にうれしかった。孫やひ孫の成長を楽しみにしながら、元気に過ごしていきたいです。

●戸羽勝安さん(副本部長)
 陸前高田に家を建て直して2年半になります。新しい仏壇の前で朗々と題目を唱えることができる――これ以上の喜びはないです。
 これまでの道のりを振り返ると、ただただ「感謝」しかありません。自宅兼職場が流され、長年営んできた塗装業の廃業も考えましたが、皆さんのお役に立ちたい一心で、今も続けることができています。
 池田先生に最高の恩返しがしたいと、2013年5月に続いて、昨年11月にも弘教を実らせることができました。題目だけは誰にも負けないとの心意気で、これからも唱題根本に、折伏と後継者の育成に頑張っていく決意です。

●高橋香代さん(支部副婦人部長)
 2013年1月17日、お父さん(夫の俊雄さん)が病で亡くなりました。その時は頭が真っ白になり、海外で暮らす娘にもかなり心配をかけました。でも1年後の命日に、初孫が生まれたんです。それが生きる希望になりました。
 私の原点は1973年2月20日。東京・渋谷の青年部の一員として、池田先生と記念撮影を行ったことです。“題目は「出発」であり「目的」です”とのご指導は、人生の指針です。
 当時、住んでいた地域には立派な個人会場がありました。いつか私も広布の会場を提供できる境涯に――その願いをかなえてくれたのはお父さんでした。
 お父さんを折伏したのは私です。でも入会後は、逆に私のことを引っ張ってくれるようになりました。  震災時、学会の救援物資を運ぶ拠点となった自宅には、お父さんの思いがたくさん詰まっています。いつまでも皆さんに使ってもらうために、健康第一で生きていきます。

東北のチカラ――識者が語る
岩手日報社 代表取締役社長 東根千万億氏  全ては一人の変革から

 2011年の東日本大震災の時、私は編集局長でした。惨状に心を震わせながら報道に当たり、会議では編集幹部たちに、こう説きました。 ​​
 「千年に一度の災害なら次に起こるのは31世紀。31世紀に記録を残す気概でやろう」
 この思いは今も全く変わりません。  震災直後から記者たちは避難所を回り、延べ5万人の避難者名簿を掲載。その後も被災地の方々の姿を報道し続けました。犠牲者を追悼する企画も立ち上げました。遺族から生前の顔写真をお借りし、紹介文を添えて掲載。生きた証しを記録することで尊厳を守ろうと考えたのです。
 さらに私の後任の編集局長のもとで、後世への教訓のための企画「犠牲者の行動記録」も連載しました。犠牲になった方々が、地震発生から津波襲来までどう行動したかを、遺族に取材して再現したのです。インターネットとも連動させ、一人一人の避難の軌跡を線で表現して動画として見られるようにしました。
 こうした一連の報道は11年と16年に新聞協会賞を受賞しました。ご協力いただいた遺族、県民の皆さまにあらためて心から感謝申し上げます。
 取材に走った記者たちは悲しみや葛藤を抱えながら、地方紙記者としての崇高な使命を確信したと思います。
 記者だけではありません。震災当時、小学6年生だった子どもたちは今年、成人式を迎えました。震災を経験した青年や子どもたちは立派に育っています。彼らは“苦しんでいる人や地域のために何かをしたい”という使命感が強く、地域や国を越えて励ましを送ってくれた人々への感謝の心を持っています。
 岩手の青年たちを見ると、使命感と報恩感謝の決意が人を急速に成長させると実感します。そしてその思いこそが岩手、東北の大きな力だといえるのではないでしょうか。
 私は生きていく上で「想像力」と「創造力」が大事だと考えます。人の痛みを知り、人の有り難みを知ると、人を思う想像力が深まります。それが価値を生む創造力を培う糧になると思います。その意味では、「価値創造」という言葉に名称の由来がある創価学会の哲学に、共感を覚えます。
 価値を創り、よりよい社会を築くために人はどう行動すべきか。ある日の聖教新聞1面に「『世界』の変革は『一人』から」とありました。
 私は仕事の合間を見て、郷土の文化を残すために、民謡「南部牛方節」の伝承に取り組んでいます。岩手で数百年間うたい継がれながら、近年ほとんどうたわれなくなった歌です。私一人でもうたい継いで後世にリレーします。先の聖教新聞の言葉を目にした時は力を得る思いがしました。
 一人の変革から――その生き方、哲学の模範として池田先生に学ぶところ大です。その励ましは時代を超えて、世界中に広がっています。
 かつて、池田先生が東北に寄せられた長編詩「みちのくの幸の光彩」(1988年)に私は感銘しました。そこには、こうつづられています。
 「幾千万の無告の民の/慟哭の声を飲みこんできた/虐げられし東北の民衆史/なればこそ/民衆の時代という輝かしい世紀への/未聞の架橋作業にあって/みちのくの君たち あなたたちこそ/主役でなければならない/王座に遇されて当然なのだ」
 岩手、東北は古来、天災と人災による度重なる苦しみを乗り越えてきました。支配をもくろむ野望の徒に踏みにじられ、苛政の重圧にも耐えてきました。
 池田先生は東北の歴史や悲しみを深く理解し、東北人の人間性をたたえ、励ましを送り続けてくださっています。
 今、世界が東北を注視しています。まさに、長編詩につづられた通りの時代になりました。次世代、少年少女たちが希望を持てる社会を築くため、「一人の変革から全てが始まる」との信念を胸に、私たちも県民の皆さまと共に前へ進んでまいります。
 あずまね・ちまお
 1952年生まれ。岩手県出身。早稲田大学卒業後、株式会社岩手日報社に入社。報道部長、事業局長、編集局長などを経て、2014年6月、代表取締役社長に就任。著書に『SOSツキノワグマ』など。


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