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2020年5月22日(金)
【中興入道〜佐渡】
中興入道〜佐渡

雲間から陽光が降り注ぐ佐渡。大聖人は試練の荒波を越え、人々を慈愛の大光で照らした

 「広宣流布」とは、どこか遠くにあるのではない。
 「家庭」こそ基盤である。一家和楽を築き、後継者を育むことである。
 「地域」こそ土台である。地域を愛し、地域に尽くし抜くことである。
 家庭と地域に「信頼」と「尊敬」を広げゆく中で、自他共の幸福の連帯は着実に築かれていく。
 日蓮大聖人の御在世当時、各地域で信頼を勝ち得た門下や、大聖人の姿に感銘を受けた地域の有力者らが、大難の嵐に立ち向かう大聖人を支えた。
 それは、流罪地の佐渡でも同様であった。中興入道一族は地域に根を張り、大聖人を外護したのである。
 大聖人への悪口や誹謗が渦巻いていた佐渡において、父の中興次郎入道は、勇敢な言動によって地域の人々の認識を大きく改めさせた。
 そして流罪の赦免後、父の志を継いだ息子・中興入道は身延の大聖人の元を何度も訪れ、親子して大聖人をお守りした。
人を敬う実践が善の絆を広げる
 中興入道一族は、佐渡国中興(現在の新潟県佐渡市中興)に住んでいた。
 中興次郎入道は、地元の人々から信頼を集めていた地域の有力者であったようだ。大聖人が流罪赦免後の弘安2年(1279年)11月30日に身延の地から送られた「中興入道消息」に、その人物像がつづられている。「佐渡の島には日蓮を憎む者は多かったのだけれども、中興次郎入道という老人がいた。この人は、年配者であるうえに、心は賢く、身も裕福であり、佐渡の人々からも立派であると思われている人であった」(御書1333ページ、通解)と。
 大聖人は文永9年(72年)の夏ごろ、佐渡の塚原から一谷(佐渡市市野沢)に移られ、流罪赦免までの間、一谷入道の屋敷地内で過ごされた。
 当時、一谷で流人の管理をしていた名主(年貢の徴収などを担う階層)は、大聖人を激しく憎んでいたようである。しかし、名主が管理する地域に住んでいた一谷入道は、大聖人の人柄に触れて次第に心を寄せ、生活の便宜を図るようになった。一谷入道の妻も大聖人に帰依している。
 中興の地と一谷の地は距離的に近かったことから、大聖人は一谷におられた頃に中興入道一族と出会いを結んだと考えられる。
 当時の中興次郎入道の耳には、どのような大聖人の風評が届いていたであろうか。
 佐渡の人々の多くは念仏者にたぶらかされて大聖人を憎んでいた。監視の目をかいくぐって大聖人に食料などをお届けした阿仏房は追放されたり、罰金を科せられたりしていた。そんな中でも中興次郎入道は、大聖人の偉大な人格に触れ、“これほどの方が迫害に遭うのには何か訳があるはずだ”と直感したようだ。「日蓮という僧は、何か格別なところがある方であろう」(同ページ、通解)と述べていたという。当時の佐渡の状況を考えると、この発言がどれほど勇気あるものだったか計り知れない。
 地域からの信頼が厚かった中興次郎入道のこの認識が、大聖人を取り巻く環境を大きく変えていく。一族の者は大聖人に敬意を払うようになり、中興家に仕える人々も大聖人に危害を加えるようなことはなかった。中興次郎入道の言動は、まさに大聖人をお守りする諸天善神の働きとなったのである。
 念仏者らに常に命を狙われる状況だった大聖人が、流罪を赦免になるまで無事であった背景には、こうした中興次郎入道ら佐渡の人々の尊い外護があったことは確かであろう。
 また、中興次郎入道が大聖人をお守りするようになったことは、大聖人の深い信心から発する善の振る舞いによって、周囲の善の心が呼び起こされたことを示している。
 池田先生は本抄の講義でこう述べている。
 「末法の民衆救済には、この『善の絆』『師弟の絆』が不可欠です。『人を敬う』実践の中で、この『善の連帯』『人間性の連帯』が広がれば、各人の善性が大きく触発されていきます。この触発の連鎖が民衆全体の境涯を高め、社会を変革し、国土の安穏を実現し、究極は人類の宿命を転換していきます」
 大聖人と中興次郎入道との交流は、人格の触発が、相手の心を変え、地域をも変えていく原動力であることを物語っている。
 
 大聖人は直接会うだけでなく、多くのお手紙によって幾多の門下に励ましを送られた。現代では電話やメールなど通信手段は多彩だ。いかなる手段であろうと、「人を敬う」心、相手の善性を信じ抜く信念によって、生命を触発し、互いに高め合うことは必ずできると銘記したい。
身近な家庭こそ広布の本舞台
 中興次郎入道の志を継いだのが、息子の中興入道である。
 「中興入道消息」には「あなたは、亡き次郎入道殿の御子息であられる」(同1334ページ、通解)、「亡き父母も」(同1335ページ、通解)と記されており、中興次郎入道夫妻は弘安2年の時点で、すでに霊山に旅立っていた。父亡き後も中興入道は妻と共に信仰に励み、年ごとに身延の大聖人の元を訪れたようである。
 大聖人は中興入道夫妻の信心をたたえている。
 「非常に賢明であった方(=中興次郎入道)のご子息と嫁だからであろうか。故・入道殿の御志を継いで、国主も用いていない法華経を信仰されているだけではなく、法華経の行者である日蓮を養い、年ごとに千里の道を送り、迎えている」(同1334ページ、通解)
 大聖人の胸中には、純真に信心に励みゆく中興入道夫妻の姿が、最も大変な時に大聖人をお守りした父の姿と重なって見えたことだろう。
 同じ御書で大聖人は、幼くして亡くなった娘の十三回忌の追善を中興入道夫妻がしたことに対して、題目の功徳の大きさを教えられた。そして、その功徳によって、「亡き父母も、天の日月のように浄土を照らしているであろう」(同1335ページ、趣意)との励ましを送っている。
 さらに「孝養の人であるあなた並びに妻子は、現世には百二十年までも長生きして、後生には父母と共に霊山浄土に行かれるであろうことは、水が澄めば月が映り、鼓を打てば響きが伴うように間違いのないことだと確信しなさい」(同ページ、通解)と一家の幸福を約束されている。どこまでも家族の心に寄り添おうとされた大聖人の深き慈愛が拝される。
 このように、中興入道一族をはじめ佐渡の門下たちは、個人単位というより、家族や一族を中心に地域に着実に根付いていったことがうかがえる。
 池田先生は次のように講義している。
 「広宣流布とは、友情と信頼の絆の広がりです。人間の善の絆が拡大することが、広布の拡大です。
 私たちの実践で言えば、どこまでも真心を尽くし、誠実に身近な家族、友人、知人の一人ひとりを大切にすることです。
 『一人を徹して大切にする』――それが、万人成仏の法華経の実践であり、教主釈尊が説いた実践の肝要です。
 人と人との『信頼』と『尊敬』による連帯の広がりが、広宣流布の姿なのです」
 身近な家庭を広布の本舞台と捉え、和楽の家庭を基盤として、地域・社会に信頼の輪を広げていく――佐渡の門下たちは、大聖人の一人を大切にする御振る舞いに触れ、“私も師の大聖人のように”と、一家・一族が団結して実践に励み、地域に善の連帯を築いていったのであろう。
 中興入道親子の姿は、“誠実の道を貫く生き方”を次の世代へと継承しゆく模範にほかならない。

5/22^17:16
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