信仰体験談

2020年8月1日(土)
【お帰り と言える幸せ】
【横浜市港南区】当たり前だと思っていたことが、いかに“ありがたい”かを気付かされることがある。千葉智子さん(53)=白ゆり長=にとってのそれは、わが子から聞く「行ってきます」「ただいま」の声だった。6年にわたって続いた次男・清司きよしさん(23)=男子部員=の不登校、引きこもり。就職して自立した今、「行ってらっしゃい」「お帰り」と言える喜びをかみ締めている。

 中学に入って間もなく、次男の清司さんは登校時間が近づくと、腹痛で布団から出られなくなった。よくよく聞いても、原因らしきものは出てこない。仲の良い友人もいる。“すぐに元に戻れるはず”。そんな期待は、もろくも崩れ去った。

 人の視線にさらされるのを嫌がり、行き渋った。午後から登校したり、野球部の部活動だけ参加したり。家にいる時間はゲームばかりで、勉強も進まない。“怠けているだけ”と感情的に叱っても、状況は変わらなかった。

 千葉さんは毎朝、弁当を用意して清司さんを起こした。“学校は行くべき”という考えが強く、それが清司さんを追い詰めていることに気付けなかった。

 ある朝、清司さんの腕が傷だらけに。千葉さんは血の気が引く思いで、理由を聞いた。「痛みで嫌な自分を忘れられるから」。絞り出した声に、抱える苦しみの深さを思い知らされた。

 夫・雅司さん(55)=地区部長=と相談し、病院や施設をあちこち訪ね歩いたが、回復の兆しは見られなかった。

 母として自己嫌悪に陥る日々。出口のないトンネルから、誰かに救い出してほしかった。

 ある時、清司さんを連れて児童精神科へ。医師から説明された。「足を骨折した人に走れと言うようなものですよ」。適応障がいとの診断を受けた。

 食事を出しても、清司さんの皿だけがいつも手つかず。いつ寝て、何を食べているのかさえ分からなくなっていた。

 「長い道のりです」。医師から励まされながら、診察を受け続けた。

 ずっと家にいても、気持ちの浮き沈みはあった。一緒に夕食作りができた日もあれば、3カ月間、顔を合わせなくなることも。

 きっかけは大抵、ささいな一言だった。「清司は、こうだよね」。決め付けが引き金になり、心のシャッターが閉ざされる。清司さんにとって、唯一のプライベート空間は2段ベッドの下。シーツで隙間なく覆い、全ての情報を遮断した。

 “また間違っちゃったんだ、私……”。その繰り返しだった。
 中学を卒業後、進学した通信制高校もすぐに中退。バイトも試みたが、続けられなかった。

 “この暮らしは、もう変わらない”。自分たちが元気なうちは、面倒を見る――そんなふうに考えることもしばしばだった。

 転機は、地区の同志だった。2016年(平成28年)、大学生だった長女の悩みをきっかけに、夫から婦人部の先輩に相談することを勧められた。

 千葉さんは学会2世だったが、「学会活動は夫だけでいい」と思ってきた。雅司さんは多忙な仕事の中、一家和楽の信心を祈り、学会活動に励んできた。

 娘を守るために疲弊していた千葉さんを、先輩は励ました。「『絶対に解決する!』という祈りですよ」。その確信に押され、一緒に唱題を重ねるように。

 「悩みがないことが幸福ではない。どんな悩みにも負けないことが幸福なのである」との池田先生の指針を胸に刻みながら、解決にこぎ着けた時、信心の歓喜と確信が湧いた。

 千葉さんはそれまで、家庭内の事情を他人に話すことはなかった。清司さんのことを周囲に聞かれても、はぐらかした。だが気遣ってくれる婦人部の先輩の真心に、これまでの経緯を語るように。

 ある時、清司さん宛ての手紙を、その先輩から預かった。引っ越す予定があり、片付けを手伝ってほしいという。仕事の内容などが具体的に記してあり、「いつでも連絡ください」と連絡先が添えられていた。

 千葉さんは、清司さんのベッドにそっと手紙を置いた。“きっかけになれば”との思いを託して

 しばらくして、一緒にいた婦人部の先輩が携帯電話を見せてくれた。<ぜひ手伝わせてください>

 清司さんから届いたメールだった。手紙から2カ月後。やっとの思いで紡ぎ、送ったであろう返信だった。
 ボロボロと涙が頰を伝い、胸がいっぱいになった。“この子は懸命に変わろうとしている”

 片付けの日。夕方、千葉さんは帰りを待った。玄関から、テンポのいい足音が聞こえた。

 「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(御書1492ページ)。真剣な祈りは、全てを味方にした。聞けば、片付けの作業中、婦人部の先輩と会話が弾み、信心の話にもなったという。

 その日を境に、清司さんの心は開けていく。ベッドのシーツは取り払われ、母の後ろに座って一緒に御本尊に祈るように。

 ハローワークで求人票を探し、就職も決めた。自宅から2時間近くかかる農業法人。1人暮らしをしながら、働くことになった。

 17年1月、不安と期待が入り交じった出発の日。きっかけをつくってくれた婦人へ、清司さんはメールを送った。

 <20年しか生きていませんが、人生の中で一番思い出に残る日になりました><ここまで前進できたのは、家族や応援してくれた人のおかげです。これから先は長いですが、頑張れそうです>

 それから2年半。休みになると、清司さんは自宅に戻る。

 「(ペットの愛犬に)会いたくて」と言うが、お土産に収穫のお裾分けを抱える。肌は焼け、たくましくなった。親子のLINEの文面には感謝の言葉が増えた。

 学会活動に励む中、千葉さんは指針にする“悩みに負けないことが幸福”の指導に、続きがあることを知った。

 「自分だけの幸福ではない。人を幸福にできる人が、本当の幸福者なのである」

 背伸びせず、ありのままを精いっぱい生きる。その姿にこそ、人を幸せにする力があると、息子が教えてくれた。

 今年1月、千葉さんは白ゆり長に。一番うれしそうに見守っていたのは、夫の雅司さんだった。

 「ただいまー」の声に「お帰り」と返す。そこに幸せな一家の実像がある――。

8/1^05:38
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