信仰体験談

2021年1月22日(金)
【地域と社会を守る】
あれは1986年10月のことです。午前4時に緊急通報があり、私たち消防隊員が現場に出動しました。誰かがビルの地下階段の入り口付近にガソリンをまいて放火したらしく、死者1人、重軽傷者3人という火災でした。

 なんとか消火と救助活動を終えて、撤収作業を始めていた時です。一瞬、子どもの泣き声が聞こえたような、あるいは人の息の気配をかすかに感じたような気がしたのです。辺りを見回しても誰もいません。引き止める同僚をよそに、私はまさかとは思いながら1人で地下に降りました。目を凝らして捜索していると、ボイラー室にある温水タンクの隙間に10歳くらいの少女が倒れているのを発見したのです。

 きっと逃げ遅れて、タンクの隙間に身を隠したのでしょう。消火の水が溜まり、煙と熱い空気が充満したその場所で、彼女は気を失っていました。私はすぐに少女を救助し、とっさの判断と行動で、大切な命を守ることができたのです。消防隊員になって間もない頃のことですが、今でも鮮明に覚えている出来事です。

 35年経った今、私は韓国の表玄関・仁川(インチョン)国際空港の周辺に位置する仁川永宗(ヨジョン)消防署で署長を務めています。けれども若い頃は、自分が今のような充実した幸せな人生を送れるなど、想像もできませんでした。

 この仏法に巡り合う前の私は、内向的な上、全てに悲観的で、終末論を説くような宗教をいくつも遍歴してさえいたのです。

前列左から、妻・李智蓮さん、次女・柳知元さん、後列左から柳煥馨さん、長女・柳ソダムさん


池田先生の長編詩に奮起
 私は61年に、韓国中部の忠清北道槐山郡に生まれました。家は貧しく、自分自身も病弱。将来への夢や希望も抱けないまま、17歳でソウルに上京しました。お金がなく、地下のジメジメした狭い部屋で暮らすうちに、さらに希望が持てなくなり、極端な価値観を掲げる宗教に引かれていたのだと思います。

 しかし、宗教で心が満たされることはなく、苦悩は深まるばかりでした。何もかも諦めていた私を、韓国SGIの会合に誘い続けてくれたのは叔母でした。熱意に根負けして座談会に参加したのが、84年4月です。宗教にも高低浅深があることを知り、帰宅して早速、唱題をしてみました。不思議なことに、題目を唱えるほどに勇気が湧いてくるのを感じました。それから3カ月間、勤行・唱題を実践し、晴れてメンバーの一員になったのです。

 翌85年に行われた韓国SGIの文化祭の出演は、私の人生の大きな転機となりました。当時、アルバイトで生計を立てていましたが、多忙な中でも、活動に率先して挑戦。新たに始めた屋台の仕事が軌道に乗るなど、思いがけず功徳を頂きました。

 文化祭を大成功で終えて、私は“いかなる困難も信心で乗り越えられる”との確信をつかむことができたのです。

 池田先生がつづられた長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」に深く感銘し、自分も師匠の期待に応えられる人間になろうと決意。そこから韓国放送通信大学で学ぶなど、猛勉強の末、86年6月に消防公務員試験に合格することができたのです。

 89年には、さらに消防幹部候補生選抜試験にも合格し、91年1月、30歳の時に京畿道(キョンギド)の光明(クァンミヨン)消防署で、派出所長の辞令を受けました。




1/22^05:42
[更新通知]





w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
++新着日記++