信仰体験談

2018年12月7日(金)
【スマイル、自分らしく】
もし、わが子がおなかの中で亡くなったら……。悲しみは計り知れない。厚生労働省では、妊娠12週以降で亡くなった赤ちゃんの出産を「死産」と定義している。一昨年では、赤ちゃんの50人に1人以上が、死産であった。埼玉県所沢市の園田志乃さん(40)=天光支部、地区婦人部長=は、26歳の時、双子の胎児を亡くした。その後も、長女・あかりさん(16)の病などを、母・森澤勢津子さん(75)=神奈川県大和市、地区副婦人部長=譲りの強い信心で、夫・聖司さん(42)=創価長(ブロック長)=と乗り越えてきた。

真冬の屋台 お母さんの味
 これといって趣味のない私。
 子どもたちからは「ママ、ホントつまんないね」って笑われる。
 そんな私が、唯一続けてこられたのが〈民謡舞踊〉。泣き虫だった私を明るい子にするために、せっちゃん(母)が薦めてくれた。結婚し、4人の子の母親になった今でも、地域の舞踊部に入って、踊ってる。
 お父さん(森澤信二さん)は真面目な働き者。お父さんが体を壊した時、せっちゃんは一人、真冬の屋台で腕を振るった。湯気の向こうに見えるお客さんの笑顔。味の染みた、おでんやうどん。せっちゃんの味付けは何でもおいしくて、ずるい。
 お父さんの針金工場が台風で壊れた時も、せっちゃんは「信心で勝ってみせる」って学会活動に走った。聖教新聞を24年間配り、未入会のお父さんの分まで祈り続けてたね。
 せっちゃんは私の憧れ。お父さんと仲良く、ずっと元気でいてね。 

動かないおなかに「ごめんね」と
 結婚は20歳の時。6年後、双子の赤ちゃんを妊娠した。「どんな子だろうね。楽しみだね」って、夫と、ワクワクして待ってた。
 7カ月目に入り、おなかはとっても大きくなった。でも、ある時、違和感に気付いた。“あれ? 赤ちゃんが動いていない気がする……”
 検査の後、お医者さんは言った。
 「残念ですが、おなかの中で亡くなられています」って……。
 覚悟はしてた。でも、悲しくて、つらすぎて……。動かないおなかを何度もさすりながら、ごめんね、ごめんねって……。
 3日間かけて子宮口を開き、薬を使って陣痛を起こした。分娩台の上に乗り、痛みに耐える。
 「ひっ、ひっ、ふー」。まるで、普通の出産のようだった。こんなに痛いのに。苦しいのに。この先に、喜びは待ってないんだ……。
 静かに生まれた赤ちゃん。「終わりましたよ」って、助産師さんの小さな声だけが聞こえた。
 胸に抱いた赤ちゃんは、軽くて、小さくて、フワフワで……。かわいい女の子だった。ちゃんと産んであげたかったよ……。ごめんね。
 「“意味があった”って、思える日が来るよね? 絶対来るよね?」
 夫が力強く抱き締めてくれた。
 退院の日。外は何事もなかったかのように、日常が流れていた。私の気持ちは追い付かなかった。
 車の運転中、急に気持ち悪くなったり、レジに並んでいると心臓の鼓動が激しくなったり。仕事中に発作で倒れたこともあった。
 すがるように御本尊に向かった。「私は大丈夫。私は大丈夫」。つぶやきながら祈ると、心が落ち着いてきて、涙がこぼれた。少しずつ、少しずつ、前を向いていこう。 

 「落武者みたい」と笑った娘
 2年前の5月、長女のあかりが、学校を早退して帰ってきた。家でも貧血がひどくて、ずっと寝てた。
 お医者さんから言われた病名は「骨髄異形成症候群」。正常な血液細胞が減り、働かなくなる病気みたいで、悪くなれば、急性骨髄性白血病になることもあるって……。
 1年後、症状は急激に悪化した。鼻血が止まらなくなったり、ゆっくり歩いていても、動悸や息切れを起こしたり……。合併症もあり、治す方法は骨髄移植しかなかった。
 救われたのは、お医者さんも驚く早さでドナーが見つかったこと。
 お医者さんは「移植の前に、白血球、赤血球、血小板の値をゼロにする必要があります」って。15歳のあかりの体に強い抗がん剤を、5日間も入れなければならなかった。
 無菌室に入るあかり。娘が苦しむ姿は見てられない。できることなら、私が身代わりになりたい。
 でも、あかりは強かった。
 「ママ、私、必ず勝つから。心配しないで」って。池田先生に、〈絶対に病気に負けません〉って、決意の手紙を書いていた。
 数日後、あかりのもとに、アメリカSGIの鏡が届いた。
 「闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し」(御書384ページ)。〈信心で勝て〉と、池田先生が励ましてくださっているように思えた。
 あかりは題目を唱えながら、抗がん剤に立ち向かっていった。副作用の苦しみは想像を絶した。激しい吐き気に襲われて、目の前であかりがパニックを起こす。体重は25キロも落ちた。眠れない夜が続いた。
 ふと鏡を見る娘。髪の抜けた頭を触り、「私、落武者みたい」って。泣きながら笑ってた。私のいとしい娘。この子を絶対守ってみせる。

妹のためにつかんだ合格
 あかりのお見舞いに行く支度をしていると、所沢の同志の方々が訪ねてきてくださった。「これから病院に行くんでしょ」って、肉団子やスパゲティを持ってきてくれた。
 開(18)=長男、学生部ビクトリー・リーダー=は「あかりのために、創価大学に行くんだ」って。未入会のお父さんも、「あかりの命を助けてやってほしい」って、泣きながら祈ってくれた。
 たくさんの愛。あかりにもしっかり届いた。順調に回復し、今年の3月2日、ついに退院の時を迎えた。この日、わが家には、もう一つうれしいことが。ポストに届いた封書。その紙には「合格」の二文字が記されてた。開、よかったね。憧れの創大生だね。
 あかりのために祈ってくれたお父さんも先月、創価学会に入会した。
 入会記念勤行会の日。職人かたぎで、めったに頭を下げないお父さんが「何も分かりませんが、よろしくお願いします」って、皆さんに深々とお辞儀して……。長い冬を越え、わが家に幸せの春が来たんだ。
 私には、大切にしている池田先生の言葉がある。「四十代からが、女性のひとつの勝負です。それまでは、焦らず、着々と、崩れざる福徳の土台を固めていくことです」
 私は今、40歳。これまでの悲しみは全て、家族の絆を強め、幸せになるための力をくれたんだと思う。
 だから、今は感謝できる。「全てのことに意味があったんだ」って。

12/7^15:28
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