信仰体験談

2017年11月14日(火)
【クローン病と闘う税理士】
【岐阜市】市内に税理士事務所を構える鈴木雄一さん(48)=則武支部、地区部長=は、クローン病を患って20年になる。厚生労働省の指定難病である。この間、どのような思いで闘ってきたのだろうか――。鈴木さんは少し考え、静かな口調で答えた。「冷たい川の流れに逆らって、上流に上る魚のイメージでしょうか」。医師から“治らない病”と言われても、鈴木さんは、“必ず治す”と祈っては希望を燃やし、人生の活路を開いてきた。

決めたこと
 「あのね、きょうね……」。幼稚園に通う娘の清美ちゃん(6)が、その日にあったことを、瞳をキラキラさせながら話している。家族で食卓を囲んでの会話が弾む。  
 食事前、鈴木さんは、水に溶かした「エレンタール」と呼ばれる栄養剤を300ミリリットルほど摂取する。
患部である小腸をいたわるための配慮だが、あとは変わりない献立で食事を楽しむことができている。  
 クローン病は、口から肛門までの全消化器官に慢性的に炎症が起こる病で、出血や、栄養の吸収障害、腸に潰瘍や狭窄が起こることも。原因は不明で、手術し、切除しても再燃する可能性が高い。症状は腹痛、下痢、発熱などさまざま。それらがクローン病からくるものとは、気付かないことが多いという。  
 現在は岐阜県内を仕事で駆け回れるほど症状は安定しているが、そこまでたどり着くには、長い歳月が必要だった。
                      ◇   
 愛知で生まれ育ち、埼玉の大学に進学。大学2年の時、税理士を志した。税理士になるためには、5科目の合格が必要。鈴木さんは大学在学中、1科目も通らなかった。  
 両親は就職することを望んだが、鈴木さんは「一度決めたことだから」と受験を継続。親からの援助を受けず、トイレ・風呂共同のアパート生活で挑戦を続けた。3年かかって3科目に合格。アルバイトをしながら、さらに勉強に励んだ。だが、過酷な日々がたたってか、急性膵炎を患った。
 そんな状況を心配した両親から何度も説得され、1995年(平成7年)、実家に戻って働きながら試験を目指すことに。念のために受けた健康診断で、クローン病と判明する。96年の春だった。

9年がかり
 自覚症状はなかったので試験を優先し、勉強を加速させた。  
 だが試験まで1カ月と迫った同年7月、朝、起き上がれないほどの倦怠感に襲われた。それでも病院で点滴を打った後、午後から専門学校へ。体は限界に近かったが、最後までやり切った結果、法人税法の試験に合格を果たす。しかし、1科目を残して、2カ月間の入院を余儀なくされた。  
 医師から「生涯、治らない病気」と言われたことが鈴木さんを苦しめた。  
 同世代の友人は、すでに社会人として働いていた。ただでさえ長く受験を続けている負い目があった。“もう一歩も進めない”と絶望感に打ちひしがれた。  
 そんな時に思い出したのは、猛勉強の合間を縫って池田先生の指導を学んだ日々。“庶民の生活を守る税理士に”との誓いを、手放すわけにはいかなかった。  
 入院中は、腹部を激痛が襲い、絶飲食が続く。同部屋のベッドから漂う食べ物の匂いが、食欲を刺激する。我慢するほかないのだが、何も口にできないストレスは募る。周囲に苦しみを分かってもらえないつらさもあった。
一方で、同病の患者と初めて語り合ったことで、“同苦”する存在の有り難さを知った。  
 退院後、試験に向け、再始動した。母・道子さん(77)=愛知県・幸田町、圏婦人部主事=は、栄養士から示された食材の一覧表を台所の扉に張った。カレー、ラーメンをはじめ、息子の好物は食べさせられない。食物繊維は消化に悪いため、野菜は皮を除いた。体調を崩せば、流動食しか食べられなくなった。  
 鈴木さんは、学生時代から継続してきた、10時間の勉強と3時間の唱題を貫こうとした。だが、絶え間ない激痛がそれを阻んだ。仏壇の前でエビのように丸くなり、黙って腹痛に耐えるしかなかった。  
 しかし無情にも、翌年は不合格に。“もう戦えない”と薄らぐ執念。その中で、何度も自らを鼓舞してくれた池田先生の指導を繰り返し読む。「人生は“強く”また“強く”生きることである。“前に”また “前に”進み続けることである。
頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道を開ける。魔も逃げていく」。勇気を得て、立ち向かった。  
 98年、最後と決めて挑んだ9度目、合格を果たした。

この人なら
 会計事務所に勤務してからも、体調を崩すことがあった。2005年には小腸の一部を切除。3カ月の入院生活を送った。  
 退院後もストレスや業務過多が続けば、症状が出ることもあった。試行錯誤しながら体調を整える一進一退の日々。
それでも鈴木さんは諦めなかった。「たとえ治らなくても、『完治させる!』と祈ることが、私にとって希望の源でした」。自己管理に努める、その徹底ぶりは、医師も感心するほどだった。  
 さらに、自身に課したこと。それは税理士を志す後輩たちを徹して励ますこと。家庭訪問に歩いては、自らが受けた恩を、次に渡す責務を果たしたかった。  
 08年、明子さん(41)=支部婦人部長=と出会う。「どうして9年間も頑張れたんですか?」と問う明子さんに、鈴木さんは言った。
「月に1度、池田先生とお会いして、戦う心を奮い立たせてきました。その繰り返しでした」  
 それは本部幹部会の中継行事。どんな時も地道に師匠を求める鈴木さんに、明子さんは“この人なら”と結婚を決めた。  
 5年前、知人から思いがけない提案が舞い込んだ。税理士が不在となった事務所を、顧客ごと引き受けてくれないか、との話だった。夫婦で話し合い、住み慣れた愛知から岐阜へ引っ越すことを決心した。  
 以来、鈴木さんは所長として奮闘し、明子さんは事務を手伝いながら、健康面を支える。この10年間、症状は落ち着き、体調を維持できている。  
 経営する側になり、仕事は多岐にわたり、責任が重くなった。だからこそ、顧客である経営者の思いを理解しようと、耳を傾けることができるようになった。  
 「病と経営は違いますが、共通する“苦しみ”があります。そこに寄り添える力ある税理士に」と鈴木さんは日々、誓っている。

11/14^18:33







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