母の乳癌闘病記と私の日常

2015年01月08日(木)
【手続きに追われる日々】
手続きに追われる日々

母が亡くなった後のいろいろな手続きや連絡に追われています。

母の友人や仕事関係への連絡、クレジットカードや携帯の解約等々、

やることが多くて、メソメソしている場合じゃありません。

それでも、ふとした瞬間に涙が溢れてきたりしますが・・・

思えば私は、母がいつか亡くなる日がくることを、ずっと前から恐れていました。

もしかしたら、子供の時からだったかも知れません。

人は必ずいつか死を迎え、決して逃れることは出来ませんが、

母の死だけは受け入れられずにいました。

母の乳ガンが分かった時は尚更そうでした。

だから必死になって母の看病をしたのです。

でも、とうとうその日が来てしまいました。

全く悔いが無いとは言いませんが、私のやれることは全てやったので、

寂しくて寂しくて仕方が有りませんが、もっとあれをしてあげてれば良かったのにと言う後悔はほとんど有りません。

今日は父が私に、喪服のいいのを新調するようにとお金をくれたので買いに行きました。

母が3年半通った枇杷の葉鍼灸院の前にあるデパートに買いに行ったので

車を走らせながら、母とこの道を百回以上は通った事を思い出し、また泣きそうになりました。

これから何を見ても母を思い出してしまいそうです。

今日、御霊前を送って下さった母の絵のお友達から、

母が最後に撮って貰った写真が同封されて来ました。

母が友人の展覧会を見に行った時の10月25日の写真です。

少しやつれて疲れた顔はしていますが、あの時は確かにまだ元気が少し残っていました。

でも、きっと身体は悲鳴を上げ、きつかったのだと思います。

よく独りで銀座まで電車で出掛けて行ったと思います。

母は本当に我慢強く、生きることに一生懸命でした。

私は、例え寝たきりでも、ただ生きていて話が出来るだけで十分だったのです。

しかし、母は、人の面倒にはなりたくないと言うのが口癖でした。

私は、母の看病を面倒だと思った事は一度も有りません。

大変さや疲れはありましたが、病院に毎日行くのも決して義務ではなく

母に会える楽しみの方が大きかったです。

母も一生懸命それに応えてくれていました。

これから何を見ても母がもういないことを思いだしてしまいそうです。

明日はお通夜なので夜遅くなるまで独りでアンはお留守番です。

また母はアンが心配で会いに来てしまうのではないかしら?

母への思いは次から次へと溢れてきて留まる事が有りません。

母は今何を思っているのでしょうか。

千の風になって、行きたかったドイツやイタリアに行ったでしょうか。

それとも天国で、亡くなった友人と再会しているかも知れませんね。

母は今も沢山の人の心の中で生きているのだと思います。

そしてアンの心の中でも。










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