母の乳癌闘病記と私の日常

2015年01月06日(火)
【告別式の打ち合わせ】
告別式の打ち合わせ

母が亡くなった次の日、朝から式場にお葬式の打ち合わせに行きました。

母は生前、自分の葬式は家族だけでいいと言っていましたが、

父がどうしてもすると言うので、通夜は家族のみで、

告別式はこじんまりとですが一応する事に同意しました。

告別式では、私が母の為に作った「元気になったら」のCDを流します。

そして、今まで母が描いてきた絵を飾ります。

母は、こんなにたくさんも描いていたのだと、改めて思いました。

私は、母の絵の趣味や仕事には協力して来たつもりだったけど、

もう少し興味を持ってあげれば良かったと後悔しています。

父母の親戚はほとんど九州に居るので、遠くから来るのは大変だとは思いますが、大勢来て下さるようです。


私の母の事を幼い頃から良く知っている幼なじみのAちゃんが、

家に駆けつけてくれて、一緒に泣いてくれました。

母との思い出話をしました。

他にもたくさんの友人たちや、生徒のご両親がメールで励ましてくれました。

近所の商店街のみんなも母の訃報にびっくりして、寂しがってくれました。


今、一番落ち込んで立ち直れないでいるのが、私の娘です。

泣いてばかりいるので、目が腫れています。

娘は、次の博士課程への進学の願書の手続きや、大学院のセミナーがあるので

一度京都に戻って、再び通夜に戻ることになりました。

私も、4日の夕方から早速仕事再開で忙しい日々です。

一つ不思議なことが有りました。

全くの偶然だとは思いますが、しばらく壊れていたオイルヒーターが、

母が亡くなったその時だけ、突然直っていて、夜中病院から帰って来たら部屋が温かくなっていました。

私は壊れた後、スイッチをオンにしたままでいたので、いつの間にかついていたようです。

私は、母が私のマンションで一人お留守番をしていたアンに会いに来たのだと思いました。

何らかの母のパワーが部屋を温めていてくれていたのだと。

その後、また再びオイルヒーターは壊れたまま付くことはありません。

母は入院中もいつもお留守番をしているアンを気にかけていました。

看護師が、息を引き取るのは多分明け方位になると思うと言っていたのに

夜のうちにあっという間に逝ってしまったのも、

一晩中お留守番をさせるには忍びないと母が思ったのかも知れません。

最期の最期までまでみんなに気を使って生きて来た母らしい最期です。

母のお友達にも少しずつ訃報を伝えていますが、

みんな急なことで、嘘でしょ!
と口を揃えて驚きます。

みんな、母の元気な姿しか見ていないので当たり前です。

母も沢山の素敵なお友達に囲まれていたのですね。

今まで母に関わって下さった全ての方々に感謝致します。

そして、これからも宜しくお願い致します。





08:23
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